哲学、そして哲学者とは? 「このエッセイでいう」哲学って?

To be a philosopher is to know through long walks, by reasoning, and reasoning only, a priori, what others can only potentially learn from their mistakes, crises, accidents, and bankruptcies—that is, a posteriori.

THE BED OF PROCRUSTES;p115

哲学者になるということは、他人が過ちや危機、事故、破産を通じて、つまり事後的にしか学べないことを、長い散歩を通じ、論理で、かつ論理だけで、先見的に推し量ることことだ。

ブラック・スワンの箴言;p202

つまり、45歳くらいまでの私は、痛い目に合いまくり、諸々の体験を通じて「事後的に」悟っていたから、少なくとも哲学者ではなかった。

いや、「Mr.逆哲学者」の代表選手みたいな輩だった(笑)

だが、

For the classics philosophical insight was the product of a life of leisure; for me a life of leisure is the product of philosophical insight.

THE BED OF PROCRUSTES;p116

古典派にとって、哲学的洞察は悠々自適の生活の産物だった。私にとって、悠々自適な生活は哲学的洞察の産物だ。

ブラック・スワンの箴言;p204

「Wow! 哲学的な洞察を実行することで、悠々自適な生活って手に入るんかい?」ってことで…

私は哲学的洞察を「数年間、毎日(主に午前中、4時間程度)欠かさず続けてみた」んだ。

結果今、悠々自適な生活を手に入れることができんだよね。

もちろん私の哲学的洞察のベースになっているのが、「世界最高の」知の巨匠、Nassim Nicholas Taleb(ナシーム・ニコラス・タレブ)の著書”INCERTO :インケルトー(ラテン語、「Uncertain、不確実な」の意)”だ。

ここに、この哲学を「Taleb Practical Philosophy:タレブ実践哲学」or「Incerto Philosophy:インケルトー哲学」と呼ぶことにする。
※Practical:実践”と形容していることに注意。

もちろん、私の造語だ(笑)

そして、私の日々の言動タレブ実践哲学の実践(実験)に他ならない。

ちなみに、タレブの著書INCERTOによれば、「【タレブ実践哲学:Taleb Practical Philosophy】∋【ストア哲学 ∋ 特にルキウス・アンナエウス・セネカ(小セネカ)流】」のようだ。

※好奇心旺盛な私は、セネカの日本語訳「生の短さについて 他2篇 (岩波文庫)」と「怒りについて 他2篇 (岩波文庫)」を買ってチラ見している(読み途中だ)。

とにもかくにも、「私のこのエッセーでいうところの」哲学とは、”Taleb Practical Philosophy” = “Incerto Philosophy“のことだからね。

ということで…

To become a philosopher, start by walking very slowly.

THE BED OF PROCRUSTES;p114

哲学者になりたければまずとてもゆっくり歩け。

ブラック・スワンの箴言;p200

よってこれに習い、「無意識に」「ゆっくり」歩けるよう、日々訓練しているけど、「気が付けばいつの間にか」早足になってしまっている(笑)

ああ、「常に」「とても」「ゆっくり歩ける」男になれるまでは、「事後的に」痛い目に遭い続けるだろうし、実際に今も遭っているから、私は哲学者としてまだまだ未熟者。

髪と髭が「全て」真っ白になってないから、未熟なのは仕方がないかも知れないけど…

「More本物の」哲学者になれる日まで、魂の修業を楽しもうと思う♪

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